ぼのぼの 名言 スナドリネコ「なにもないのが1番さ」
「なにもないのが1番さ」
ぼのぼの 4季32話
「スナドリネコさんは歩く」より
スナドリネコさんは、森の散歩が好きです。
基本的に寝ているか散歩しているかのどちらかです。
シマリスが遠くまでクルミとりをしていることろ、普段スナドリネコさんも遠くまで散歩に来ていることころに遭遇しました。
後をついていってもいいかとお願いをさせてもらうシマリスくん。
距離を開けて付いてくるならいいよ、ということで一緒に散歩をすることになりました。
散歩をしていますが、スナドリネコさんたちは何も見つけることはありませんでした。
シマリス「あんなところまでなにしにいったのですか?何もなかったではありませぬか」
スナドリネコ「ああ、なにもなかったな」
スナドリネコ「何もないのが一番さ」
シマリス「何もないのが一番?」
シマリス「何もないのがなぜ一番なのでぇいすか?それでは退屈ではねぇですか」
スナドリネコ「ああ、退屈さ。何もないのを確認するために歩いているようなもんだからな」
シマリス「え?」
スナドリネコ「歩いているとだんだん気分が落ち着くんだ。ああ、今日もなにもなかったなって」
シマリス「そんなの面白くないのです」
スナドリネコ「面白いこともあるさ」
スナドリネコ「いつだったか大雨の後洪水になってな」
スナドリネコ「それでもあるいてたんだが、どんどん水がふかくなってそのうち泳ぐしか」
スナドリネコ「どこがさんぽだよと思ったらおかしくてな。クックック。。。」
シマリス「そりゃ、よかったですね!」
…
スナドリネコさんは散歩が好きと言いつつも、その実、森の中を見回りを兼ねた散歩をしています。
理由は過去に森のボスであった、熊の大将に喧嘩を吹っ掛けられ、
勝ってしまったことから始まっています。
熊の大将はスナドリネコさんに負ける前は森の見回りをして、
みんなの安全を確認していました。
その仕事をスナドリネコにもするように促しています。
しかし、スナドリネコは言われたとおりには動かない、という飄々とした性格です。
別に言われているから、というわけだけではありませんが、
スナドリネコさんは見回りを行うようにしています。
だから森の中で何もないと落ち着く。
それが一番いいんだ。
という心境になっていくのです。
スナドリネコさんは熊の大将に勝ってからは、
元々熊の大将が住んでした大きな洞穴に住むように言われそこに住んでいます。
代わりに熊の大将は山の上の洞穴に住むようになりました。
しかし、熊の大将自身も見回りはしつつ時々スナドリネコさんの様子を見に来ています。
そのたびにスナドリネコさんは洞窟にいるし、
見回りはしていないと言っているので、
熊の大将には見回りをするように言われてしまうのです。
不言実行といったスナドリネコさんと、
実直な大将とでは気質がかみ合わないところがありますね。
それでも、なんだかんだで仲良さげですけど笑
そして、スナドリネコさん的には、別に森のボスになりたいわけでもないし、
可能ならゆっくり寝ていたいくらいなので、
森の大将にはボスに戻ってもらって、
森の見回りなどは大将にメインでやって欲しそうです笑
…
世の中では色々なイベントがあります。
日常生活でまったく何もないというのはつまらないと感じてしまうものです。
しかし、何もないというのはマイナスな出来事も何も起きていない、
非常に安心できる環境にいるということなのです。
考え方ひとつで過ごしているときの気持ちが大きく変わるというものなのでしょう。
何かを期待しているときは、何もなければ物足りない気持ちになりますが、
何かを不安になっているときは何もないのが一番と感じるものです。
何もなくて落ち着ている
というような人は多くのことを経験してきている大きな人間なのでしょう。
世の中には非常に多くの出来事がありますが、
人間はマイナスのイメージが脳みそに残りやすい設計になっています。
何故なら、古代より生きていく中ではマイナスになることは死に直結し、
それを避けるために危険や不安なものを避けてきたものが生き残ってきたからです。
そんな人間ですから、生きていく中で色々経験をした人には、
つらかったことや危なかったことが記憶に強く残っているのです。
もちろん、うれしいことは起きてほしいことですが、
その喜びは永遠に続くものではありません。
例えば恋人ができたといって、付き合い始めはうれしいですが、
時間がたつとその気持ちも薄れてきます。
車やバッグを買った、と言っても慣れてきてしまうのです。
だから、何もなかったというのは一番いい状態と感じられる人は、
感情が大きく揺さぶられない、
大きな流れの中で感情を捉えられている人なのです。
スナドリネコさんのような感情を持てる人は非常に稀でしょう。
もしあなたがそう感じられる人なら、
人間として非常に成熟している人なのでしょう。